ファイナルファンタジー7 プレイアーツ クラウド 91095qwer22220-ゲームキャラクター

関東荒野
修羅天魔ポスター

髑髏城の絵図面を持ち出して髑髏党に追われる沙霧と助けようとする関東荒武者隊とその頭目兵庫が凄腕の女性狙撃手で流れ遊女の極楽太夫と出会うところから始まる。兵庫は二人を救いの里だと言う色街の無界の里につれていく。そこは若衆太夫の夢三郎が取り纏めている様々な境のない遊郭だった。

ネタバレあり

髑髏城の七人では、主要な役の捨之助、蘭兵衛を置かずに主人公として極楽太夫と天魔王として再構築された話。もう一つの対称軸として兵庫と夢三郎もあって、いろいろな見方ができる作品だった。天海祐希の演じる極楽太夫は美しくて、力強かった。竜星涼が夢三郎の美しさ、強さ、脆さといった多面性を演じ分けて、殺陣の見事さもしっかり見せてくれた。きれいで凄いがいっぱいある。

そこでちょっと考えると、兵庫の役回りの不憫さが気になってきた。ただでさえ兵庫は無界の里を襲撃されたことで失うものが多いのに、一番つらい時に状況を飲み込んで立ち上がることを選ぶ強さ。それでいてカッコイイ場面は他の人に取られがちだったけど。もともとの話でも殺陣の場面も含めて重要なキャラだったわけで、また関係性の変化で狂言回し的な部分も増え、段々頑張れ福士誠治!とリピートして行くうちになって行った。このあたりの作劇が仮面ライダー的だったのが戦隊ものになったとか、最近のガンダムみたいだとか言われた理由かなと腑に落ちたところだった。

再構築された部分だけじゃなくて、あの人の決めゼリフもきちんと出てきて、髑髏城を見たことのある人もない人も楽しめたはず。そして、最後にも夢の場所は自分たちで作ると打ち出されて、見た人もがんばろうと思える作品だった。そしてそもそも演劇とはレクイエムなのだという言葉がまた浮かんでしまう。

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  • 感想など

 日本の巨大新聞社がアメリカのネットメディアに身売りを画策するというところから始まるこの話、キャストに対する興味があって良いきっかけなのでwowowと再契約して見ることにした。このネットメディアが買収の条件として出したのが、紙の新聞の発行停止。日本の新聞は紙の新聞の発行に携わっている人員が多いので、これだけでかなりのリストラになる。それで身軽になって、メディアとしての生き残りを図るというところに来ている。その買収側の代表が三上博史演じる青井聡太。この人が身売りをする側の日本新報との会談の場等で言うセリフが胸に突き刺さる。「誰がジャーナリズムを守るのか。」これを受ける日本新報の社長室勤務の福士誠治演じる南の立場はきついな。もともと記者で社長室勤務になって、身売り交渉する社長のサポートをすることになったために、交渉相手や身内からいろいろな人の思惑の対象にされれば胃も痛くなると言うもの。青井聡太もかっこいいけれど感情移入するのは南の方かもしれない。

 

  • メディアの興亡

これは昔読んだ本のタイトルで、日本経済新聞がコンピュータによる編集・印刷システムを導入し、活字を捨てるというのを軸に他の朝日や毎日とを対照したドキュメンタリーを思い出した。日経に遅れを取ったものの朝日もコンピュータを導入し、この2社はその後もウェブへの流れをうまく取っている気がする。そういう自分も普通の新聞はデジタル会員になって、紙を止めた。スマホ・タブレットの時代になって、家族がいつでもどこでも新聞を読める環境なのに、紙の新聞の取り合いもないだろうというのと、処分が面倒というのがあったからだ。他に紙の新聞はスポーツ新聞とサッカー専門のエル・ゴラッソを購読している。エル・ゴラッソは新聞として市場に参入した一番新しい媒体でもある。他にも紙をやめたものといえば漫画雑誌で「モーニング」も「Dモーニング」にしてスマホで読んでいる。漫画は表現の制限や作家の問題があって、モーニング掲載の全部が楽しめるわけではないが、買い忘れ読み忘れに契約期間中遡って読むことができるので重宝している。他の雑誌も以前はデジタル化の時にすべての内容が載っていたわけでなかったが、現在は基本的に全部読めるようになって時代の流れを感じる。それに1週間遅れでウェブに短縮された記事も載ったりするので、紙かウェブかの問題はそれほど重要じゃないと考えている。コンテンツとして情報でどれだけお金を取ることができるかが問題だと思う。そういう意味で産経新聞の記事の提供と自社サイトでの有料化の問題は興味深い。

ウェブには様々な情報が飛び交っていて、センセーショナルな言葉で引きつけるフェイクニュースが問題になっている。デマやフェイクニュースをチェックするファクトチェックという言葉も広がってきて、登場人物の日本新報の南が「記者の書いた記事をデスクとかがチェックして情報の精度を上げることが必要だ」と言っている行為を他のメディアがやるようになっている現実がある。メディアリテラシーとともに情報を鵜呑みにしない受け手の知識も必要になっている。そんな時代だからこそマスメディアの持っている確かさも重要だし、各紙比較的簡単に読み比べられる(肝心なところは有料だけど)のも必要ではないかと思う。

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2017.03.18 味の素スタジアム

最初のオウンゴールがこの試合の流れを決めたようなきがする。流れを自分のものにするのは、ちょっとした歯車の違い、かみ合わないプレーがあったりすると難しいことになる。そのちょっとしたことが積み重なって焦りになって、ほころびがおおきくなり結果3-0という点差になってしまった。さてさて代表でJ1は試合がなかった分どう調整で来たことか。

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前回は、家宣が喜世に褒美をとらすと言ったところで終わった。それを受けて喜世は、浅野家の再興を願い、浅野大学が旗本として召還され悲願が達成された。そのあと家宣が病で逝去し、嫡男の鍋松が7代将軍家継となり喜世は将軍生母と敬われる立場になった。同時に髪をおろし、月光院と名乗った。

喜世は幸せな時間が長続きしない人だ。それでも病床の家宣に一度死んだ自分に人を慕う気持ちと母になる喜びを与えてくれたという場面は良かった。これはその後「自分が慕う人はみんな亡くなってしまう」という台詞に繋がっていく。一方の家宣も最初のときの様にまた語り合おうと答えるが、どうも死亡フラグにしか見えなかった。そして、静かに江島から家宣逝去の報を聞く喜世の姿は強さも感じられた。将軍となった家継の拝謁のとき御台所煕子から将軍生母となった旨を告げられ、他の側室や中臈などの皆から礼をうけた時江島との約束を果たした事になった。儀式のあと廊下を歩く間部を呼び止め、将軍家継をよろしくお願いしますと言う場面が久々で最後のツーショットとは寂しいけれど、この話の流れでは仕方がないんだろうなと思った。髪を下ろし月光院と名を改めた。その月光院に瑤泉院と仙桂尼が面会に来る。瑤泉院は浅野家の再興のお礼を告げ、そのあと仙桂尼が言う言葉が重かったなぁ。きよが産んだ子はみんなの命を繋いだのだと。最後に思い出の琴の爪を付け琴を弾き、そこに来た家継を抱きしめて終わった。この琴の爪もきよと十郎左と貞柳尼を繋ぐ思い出の品で、琴の演奏は浅野家の幸せな場面の象徴でもある。母子の幸せな触れ合いで終わるのもこのドラマの終わりとしては良かったと思う。静かできれいな場面だった。

奥向きの話とは別に、家宣の後継者について家宣が新井白石に誰が良いか諮り、御三家を呼び嫡男の鍋松を次期将軍にすることに決定する場面もあった。この時の話が、八代将軍吉宗の誕生にもつながるのだけれどそこは今回関係なかったようだ。そして将軍となり鍋松君は名を家継と改めた。その席で御台所煕子は自分とご老中で将軍をお守りすると言っていたが、実際の養育は間部詮房が面倒を見ていたようだ。喜世との最後の対面の時に後のことは間部と白石につたえていると家宣が言っているがこれで、間部は老中格の将軍側近として又意思決定のできない幼少の将軍を支える前将軍の遺言執行者的な立場で政務を行っていくことになる。この将軍側近(御側用人)は将軍の政治任用な立場大統領補佐官みたいなもの?なので、その為家継の死によって間部詮房は政治の表舞台から去らねばならぬ立場でもある。なので、この先のことをやっていくと江島の事件もあるし、ハッピーエンドにはならないし、厳しいかなと思った。たしかにせっかく間部詮房を福士誠治が二役でやっているのだから、月光院と絡んで禁断の恋的な場面も見たかった気がするけれど、それをやるとただの大奥物語になってしまうのは良くない。そこら辺は妄想で・・・・。

お気に入りの場面について

  1.  第1回の牛天神での逢引場面のなかで、十郎左がきよに乾菓子みたいなのを差し出し、きよが食べる場面。セリフはないのだけれどきよがおいしいと言って十郎左が笑うところはこのドラマの中で数少ないほのぼのした場面だった。
  2.  第5回での浅野内匠頭の埋葬を終えて髻を切った十郎左達のところへきよや不破数右衛門たちが来て、涙ながらに十郎左が仇討ちもじさぬと誓う一連のシーン。きよがまだいたことに気づいて、きよに話すところは声色を優しくしているのは言葉の冷たさとはちょっと違って、思いやりも十分感じられる。いろいろな意味で「決めて」いるのでかっこいいのは当然な場面でもあるかも。
  3.  第7回のきよとおほりが一枚噛んだ泉岳寺の墓前での場面。きよと十郎左が墓参りをしているところ原様がきて「大石様の命により江戸へ参った」と聞き、十郎左がきよの方へ視線をやりそれをうけるきよが知らん振りをするとか。その後堀部安兵衛も来たのを見たときの表情とかセリフのないまま進んでいく状況とそれを受ける演技が凄いなと思った。第5回のが動ならこちらは静。

ほかにも多くの人が挙げている討ち入りの日に琴の爪のお守りを渡す場面や細川家預かりの時に梅の花を眺めてきよを思う場面とか多すぎて困るくらい本当に良いシーンが多かったとしみじみ思う。たぶんこれが忠恋ロスだと思う。